吉屋チルー琉歌
うら比謝橋ふぃじゃばしなさちねんふぃとう
我身わんみたさとぅうむてぃ ちてィうちぇら

 うらむ比謝橋ふぃじゃーばしや うなさねぇふぃとぉ

 我身わみたさうむてぃ きてぃうちゃら

**

*めしい比謝橋*は、お情*けのない人が私を渡そうと思って架けておいたのでしょうか

真実と事実を推理検証する!

朝敏と琉球二大女流歌人考察

序章 吉屋チルー & 恩納ナビー考察

朝敏と琉球二大女流歌人考察

チルー&ナビー 琉球女流歌人双璧の対比を考察する

 >>その2

真実と事実を推理検証する!

悠久の時の流れは過ぎた過去の欠落した部分を少ない資料を紐解いて断片的な事実を紬いで繕いつつ執拗につなぎ合せている。当時の文化や風俗や世俗的な風評のおよそ考え付く物証を縦糸にして横糸には欠落している作者の作品の背景を織り込む。時には編者やその創作者の特異な愛好家たちの思い入れが作者の人間的な布として織り上げられてきた。その模様には編纂される時代の一方的な時代背景まで事細かに描かれてどれが真実でどれが事実なのか後世の者達が推理検証できないほどに必要のない神話や伝説果ては創作者の思い入れさえが挿入されたりする。もはやそうなった記録は単に伝説や神話としての価値だけが一人歩きしてゆくのだが在ること無いことを書き連ねられてしまった当事者にすれば大層な迷惑であろう。しかし、我々はそれを好のむと好まざるとにかかわることなく何でも咀嚼し吸収して来た。その中には凡そ真実に程遠い虚構や虚言の紛い物が織り込まれていることを疑うこともなくまともな知識としていっぱしの評論家気取りで言いふらしたりする不逞な輩も存在する。虚言を弄して人を誑かすことは大罪である。 だが、知り得ぬ嘘を暴くことの難易度は宇宙的な規模になり悪魔の証明に挑む愚か者と同列のレベルに陥ったりするから、疑いを持っていてもその事を大ぴらに抗議したり反論したりも出来ない。さりとて、世の中には腑に落ちぬことが真実のように独り歩きしている過去の歴史が大手を振ってまかり通っているのが現実だ。

一  恨む 比謝橋や

    情きねん人ぬ

    我身渡さと思てィ

    掛きてィうちぇら


二  島んとゥなどとゥ

    クバんソイソイとゥ

    繋じある牛ぬ

    鳴ちゅらとゥみば


三  鳴ちゅるむぬ聞かぬ

    鳴らむぬ聞ちゅし

    くぬ世からあぬ

	世近くなたら


四  拝でィ拝みぶしゃ

    首里天加那志

    遊んィうちゃがゆる

    御茶屋御殿

しかし中には趣向家や専門的な学者の方々が地道に努力を重ね検証に検証を重ねて新説や仮説を持ち出す事も多い。どんな場合であってもそれなりに興味を持って語られたりするが事実の物的検証を欠くものには世評も冷淡な眼を向けて冷ややかだ。それだけならいざ知らず全く取り合わなかったりする。 フィクションとして小説に書いた場合は構成が奇抜で事実が真実に近いほど読者の興味は募る。さらに時代背景がその作品のストーリー性にマッチしていたりすると特別に大うけとなって作者や出版社側の思惑を良いほうに外し巷の大評判を得たりする。その本の登場人物や時代考証に少なからずこれは?と思うような部分があっても見逃されて決して問われることなく受け入れられてしまう。

ようはその時代のニーズを掴んで入れば大衆受けの資格は成立してしまうものだ。だが無名な人物や無名な歴史的遺功偉業にテーマを配して思い入れ深く書いてもおおよその評価は期待出来ないのは明白である。もはや無駄な努力と言われてかた無しであることを承知で取り組まなければならない。要するにそれだけ自分の思い入れを作品にして残すと言う事は大きな犠牲と大きな決意が必要になってくる。

私はそれらのことを踏まえても今、琉球歌人として名を刻んだ中世の女流歌人の双璧と言われている「吉屋チルー(ツル)」と「恩納ナビー(ナベ)」に取り組んでみる決意をした。少年期に二人の名を知り縁となって私の創作意欲の炎が微かに点り始めてきた。。両者共に甲乙つけがたく吉やと恩納、チルーとナビーのどちらを選択するべきかこれまで決めかけていた。ふたりの語り継がれてきた人物像、生活観、作風の違いなどが相反して対照的なふたりが同時代の同地域出身であることはさらに選択を困難にする。

昔捨てた女にストーカーのように付きまとわれる恐怖感を感じてしまう。といっても私の場合はそんな浮いた話しのひとつもこれまでに全くなかったのたが。気の小さな私は執拗に怖気て絶対にその域には侵入したくはない。だからテーマは私の若い時からの抱懐の策だが創作意欲を発露させるにいたらなかった。どうせだから両者共に書けばよいではあるが、相手が歴史的な才媛であることへの遠慮が私を躊躇させる。私はこれまでの人生経験で才女才媛に接していただいた事はなかった。どちらかといえば苦手であったしまた片方が受けて片方が受けない時にはどちらかに仇を成すような気がして引ける。どちらかの主人公の恨みを生涯背中に浴びて歩むことになりそうで嫌だ。

しかし再び琉歌を読み返していると吉屋チルーの余りに憐れで余りに悲しい短い生涯の彼女の嗚咽が私の耳から離れずに心をことさらに奪う。悲惨で埋め尽くされたチルーのその足跡を思うにつけ早くかたをつけねばと気がせいていた。そんな理由で私が愛する多くの歌人のひとりのもっとも悲哀な人生を語り伝えている吉屋チルーを現代に再び蘇っていただいて、チルーが果たせなかった淡く切ない恋情を昇華させてあげたいと思っている。

ということで当分は吉屋チルーとの私の恋の格闘がはじまる。これは想像だにするだけでも相当に大掛りな波乱と熾烈を含んでいるので私の人生経験で培った生き様を下地に彼女の生涯をそのままに表現しただけでは描き切れず収まらないであろう。私などのこれまで半世紀以上を生きてきた紆余曲折の人生をもってしてもチルーの憐れの一抹さえ想像し語り得ない者ではあるが、だが私はこれを書くため今此処に生きているのだと決意してこの「吉屋チルー」を書き進めてゆきたい。

「 訳 詩 」 恨むべし  比謝橋よ 私を渡そうと思って 情けのない人が 架けておいたのか 故郷の村も静まり クバの葉がそよそよと 繋いである牛が 鳴いていると思うと、、、 鳴っているはずの音が聞こえず 鳴ってないはずの音が聞こえる この世からあの世が 近くなったのだろうか 拝んで拝みきれぬ 首里の王様よ 遊んで遊びきれぬ 御茶屋御殿(という名がよい

inserted by FC2 system