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    刑場へ移送される当日は久場川の旧道伝いに平良末吉経由で勢理客へ出て勢理客の安謝川河口近くから伝馬船に移し変えられて珊瑚礁の刑場へと移動されたのであろう。その途中で小湾の松林を眼にしての一句だと思われる。河口を挟んで浦添の珊瑚礁と安謝の珊瑚礁が分かれていたであろうからその川筋を舟で下った時に辞世の句を書き綴るために筆を渡されたのであろうけれど墨汁も筆が吸った分だけで何首かを書き連ねたようだ。今まさに死に臨んでいる窮状にあると言えどもやはり朝敏はどこまでも芸術家であったようで美しい松並木を眼にして死への恐怖もなくこれから天に召される我が身の行く先を示せよと詠んでいるのはその気性が快活豪胆であった証左でもあろう。だがその豪胆さが逆に人生を短くしてしまったのではないかと思い至れば実に残念でもある。

情思ゆらば わが行きゆる先に            
                           向かて枝させよう小湾小松

刑場へ移送される当日は久場川の旧道伝いに平良末吉経由で勢理客へ出て勢理客の安謝川河口近くから伝馬船に移し変えられて珊瑚礁の刑場へと移動されたのであろう。その途中で小湾の松林を眼にしての一句だと思われる。

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    波立つ海の中では硯の水さえも無く、書き遺したいことが山ほどあっても書き遺すことも叶わないと思うに任せない己が運命に掛けての無念さを著したものであろう。一見して不平不満を述べているように感じなくもないが、その本意とするところはそのような恨み言めいた事ではないだろう。心の底から伝え遺したい事が山ほどあったことのあらわれだと捉えなければならない。朝敏にとって余りにも早すぎる人生の終焉の時に臨んで迸り出る様に心の中からの叫び声が堰を切ったように溢れ出ていたことだと推測するに足る刑場への小舟での移送の中で辞世の句をしたためることを許されていながらもその墨水さえ充分にはなく一度硯に付けて筆先に蓄えた僅かな墨汁で何首歌かの辞世を書き綴っていくうちに墨もついには擦れてその無念さを最後にしたためたのであろうか。

四海浪たてて すすり水なちも            
                         思事やあまた 書きもならぬ

波立つ海の中では硯の水さえも無く、書き遺したいことが山ほどあっても書き遺すことも叶わないと思うに任せない己が運命に掛けての無念さを著したものであろう。


かたちきれ わた浮世うきよ            
                           鳥鳴とり なかぬ 島ぬあらば

朝敏は処刑の直前、安謝の河口から伝馬船で刑場の干潟までの船上で幾多の辞世の句を書き綴りそのひとつがこの首である。

  • image04 赤木(アカギ)あかむしン  (はべ)なてぃ飛ばば 平敷屋(へしきや)友寄(ともよせ)ぬ 遺念(いねん)ともれ

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    赤木(アカギ)あかむしン  (はべ)なてぃ飛ばば 平敷屋(へしきや)友寄(ともよせ)ぬ 遺念(いねん)ともれ


      朝敏は処刑の直前、安謝の河口から伝馬船で移送されてその刑場の干潟までの船上で幾多の辞世の句を書き綴り遺している。その中のひとつがこの首であり、この首には赤木の木に赤い虫が蝶となって群れ飛ぶことがあればそれは平敷屋友寄組の遺恨と思えと蔡温の決定した刑罰の重さを訴えて処断に憤り死の直前までもその権力悪を糾弾して恨みを遺し散って逝った朝敏の怨念が込められている。首里の朝敏の屋敷のあった金城村の近くには赤木の大木が鬱蒼と茂っていたことを思わせるこの首の記述にあらためて現在の首里金城町の赤木の大木の群生の地へ臨んでみると当時の平敷屋友寄組十五名の怨霊の叫び声が聞こえてくるようで切なく悲しい想いに捉われてしまう。今でもその赤木の群生の地では多くの蝶や小鳥の憩いの場となっていてかっての様相を垣間見ることができるがちなみにこの(しゅ)(かみ)の句の「侍る(ハベル)」との言葉は琉球の古語で蝶の事でもある。朝敏らの処刑後に金城村の赤木群生地に大量の蝶が舞い当時の人々を驚かせたとの伝説も沖縄には存在している。また、推測の域を出ないが「赤木」は擬人化(ぎじんか)した蔡温の事だと考察できる。和歌琉歌は寄物(きぶつ)陳思(ちんし)による擬人化によって比喩(ひゆ)隠喩(いんゆ)揶揄(やゆ)をするのが基本的でありこの場合も単に赤木の木に群れ翔ぶ蝶を詠んでいるのではなく、明らかに蔡温を名指しして罵倒し批難していると考えられる。

赤木(アカギ)あかむしン  (はべ)なてぃ飛ばば            
                           平敷屋(へしきや)友寄(ともよせ)ぬ 遺念(いねん)ともれ

首里の朝敏の屋敷のあった金城村の近くには赤木の大木が鬱蒼と茂っていたことを思わせるこの首の記述にあらためて現在の首里金城町の赤木の大木の群生の地へ臨んでみると当時の平敷屋友寄組十五名の怨霊の叫び声が聞こえてくるようで切なく悲しい想いに捉われてしまう。

Who I am

A subheading about who I am

 誰だと名乗るほどの者ではないことは歴然としているのだが、皆様の中にはこの人って一体何者?とか一体、何様のつもり?とか思われる方々もいらっしゃるのではないかと考えています。
 

しかし、悲しいかななのか幸いなのかは判らないが、たいした人物ではないことだけは胸を張って明言できます。
 まっ、こんなことを明言しちゃっても貶されイビラレ貶められるだけなのだと判っちゃいるが、かと言えど自慢するほどの者ではないことは自分自身がよぉ~~く、理解できているので殊更生い立ちなのどの身分経歴など発表しようとも思わない。

What People Are Saying

And a final subheading about my work

ナイ!! ◇ミ\(°ロ°\)三三(/°ロ°)/ミ◇ ナイ!!
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